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東京地方裁判所 昭和28年(行)17号 判決

原告 佐藤健造

被告 渋谷区選挙管理委員会

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「一、被告が、昭和二十八年三月五日為した原告の区長解職請求者署名簿の署名の効力に関する異議申立について剣持直紀子外二万三百三十六名の署名につき申立を棄却した決定のうち、別表一、二の(一)、三の(一)、四及び六記載の合計二万五百七十八名の者の署名に関する部分は、これを取消す。二、被告が同日為した阿部義宗外三名及びその他四百十八名の区長解職請求者署名簿の署名の効力に関する異議申立について、山本アキ外千六百七十三名の者の署名が有効であるとした決定のうち別表五記載の合計七十五名の者の署名に関する部分は、これを取消す。三、被告が昭和二十七年十二月十一日為した区長解職請求者署名簿の署名を証明した処分及び昭和二十八年三月十二日右署名の証明を修正した処分が、いずれも無効であることを確認する。四、右三の請求が理由ないとすれば、同項記載の署名の証明処分及び証明を修正した処分は、いずれもこれを取消す。五、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めると申し立て、その請求の原因及び被告主張の本案前の抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。

一、原告は、昭和二十六年四月二十四日渋谷区長に就任したが、昭和二十七年十月十五日訴外阿部義宗外三名は被告より区長解職請求代表者証明書の交付を受け、同月十六日から同年十一月十五日までの間渋谷区の選挙権を有する者(以下有権者という)等から原告の区長解職請求者署名簿(以下単に署名簿という)に署名し印を押すことを求め、合計六万一千二百七十四名の署名押印を得たとして同月二十一日右署名簿を被告に提出し、該署名簿に署名押印した者等が、同区の選挙人名簿に記載されたものであることの証明を求めた。被告はこれに対し同年十二月十日右署名押印されたもののうち九千三百六十八名は無効としたが、その余の五万一千九百六名は有効であると決定しその旨の証明を為し、同月十二日から十八日までの七日間渋谷区役所において該署名簿を関係人の縦覧に供したので、原告は法定期間内に被告に対し別表記載の者を含む合計二万四千四百一名の署名が無効であるとして異議申立を為した。一方請求代表者の阿部義宗外三名及びその他四百十八名からも被告が無効と決定した署名のうち別表五記載の者を含む合計五千二百五十一名の署名につき有効であるとして被告に対し異議を申立てた。昭和二十八年三月五日被告は、(イ)原告の異議申立の署名のうち、四千六十四名の署名については無効として申立を認容したが、残余の別表記載の者を含む二万三百三十七名の署名については申立を理由なしとして棄却し、(ロ)請求代表者等の異議申立の署名のうち、別表五記載の者を含む一千六百七十四名の署名を有効とし申立を認容し、その余の署名については理由なしとして棄却し、その旨告示し、且つ被告が昭和二十七年十二月十日付為した署名が有効であるとの証明を修正した。

二、しかし別表記載の者の署名は次の理由によつて無効であるから、被告が前記異議申立に対して為した決定のうち、該署名部分は違法で、取消さるべきであり、従つて前記の署名が有効であるとした被告の証明及び証明を修正した処分は無効であるか、または取消さるべきものである。

(一)  別表一の合計一万六千九百六十六名の署名は自署でなく、他人の代筆によるものであるから無効である。

(二)  別表二の(一)(二)の合計二千九百九十六名の署名(内(二)の五百十九名の署名は別表一に記載されたものである)、別表三の(一)(二)の合計三百五十七名の署名(内(二)の九十三名の署名は別表一に記載されて重複するものである)は印がないことに帰し無効である。

(イ)  即ち別表二の(一)(二)に記載された者の署名にはその名下に拇印が押捺されているが、拇印は署名簿に必要とされる印に該らない。地方自治法は署名簿には署名し且つ印を押すという厳格な要式行為を要求しているのであるから、拇印が右にいう印に該らないことは当然である。仮りに拇印が有効であるとしても、署名者本人の拇印であることが認められる適式な証明のない限り、署名者が印を押したこととは同視できない。右各署名下の拇印が署名者本人の拇印であることの証明は添付されていないから印とは認められない。仮りにこのような証明のない拇印が印と認められるとしても、右各署名下の拇印は不明であつて印とは認められないから、結局印なき署名で無効である。

(ロ)  別表三の(一)(二)記載の署名はその名下に印と認められない印が押捺されていたり、署名人本人の印と認められない印が押捺されていたり、或いは全然印の押捺を欠くものであるから無効である。

(三)  別表四記載の合計百五十五名の署名は、解職請求者署名簿であることを知らないで署名した者の署名、解職反対の署名であると誤信して署名した者の署名或いは署名の意思がないのにその意思を抑圧されて署名した者の署名であつて、解職請求の署名ではないから無効である。

(四)  別表六記載の合計七百十六名の署名は解職請求代表者若しくはこれらの者から適法に委任を受けた者以外の者が蒐集したものであるから無効である。

(五)  別表五記載の七五名の署名は前記のとおり被告が昭和二十七年十二月十日署名簿の審査の結果一旦無効と決定し、原告以外の者の異議申立により昭和二十八年三月五日有効と決定したものであるが、内六十一名の署名は自署でなく、内十二名の署名は拇印不明、内一名の署名は印不明、内一名の署名は自署でなく且つ拇印不明であつていずれも無効である。

以上の次第であるから請求の趣旨記載のような判決を求めるため本訴請求に及ぶ。

三、なお、原告に対する解職賛否投票は昭和二十八年四月三十日施行され、その結果解職賛成票が多数であつたため原告は同日区長の職を失つたものとして取扱われることになつたが、右解職賛否投票によつて失職しなかつたとしても昭和三十年四月二十三日任期が満了した。しかし原告は次の理由によつて本訴を維持する利益を有する。原告は前記解職賛否投票の結果失職したものとされてからは区長に支給される給与その他の給付を一切受けていないが、原告は本訴において署名簿の署名の効力を争い、又解職賛否投票の効力についてもその無効であることの確認を求める訴を東京高等裁判所に提起し(同庁昭和二十九年(ナ)第一号事件)現在審理中であつて、原告の主張が容認された場合には、原告は区長に支給さるべき給与、その他の給付を当然請求できる筋合であるのみならず、被告の違法処分に対しても損害賠償の請求ができることになる。ところで右諸給与その他の給付を求める権利の相手方は被告でなくして渋谷特別区であるところ、同区においては、本訴において署名の無効が確定され、その結果前記解職賛否投票の無効確認訴訟において該投票が行うべからざる場合に実施された無効のものであることが宣言されなければ、その投票の効力を否定し、原告が失職しなかつたものと認定し原告に対し給付の履行をすることはできないものと考えられるから、原告の通常の任期が終了したとしても、原告が給与等の請求を為すのに必要であるから本訴を維持する利益を有する。

四、被告主張の本案前の抗弁における法律上の見解は争う。

地方自治法施行令(以下単に施行令という)第百五条第二項の規定は、異議申立人或は訴願人において異議申立、訴願を却下されたものとみなし、該不服事項に関する争訟の段階を次に進めることができる旨を定めたものと解すべきであつて、次の段階の争訟の提起の期間の起算点を定めたものではない。現行の行政訴訟手続においては原則として訴願前置主義が採用され、訴願(異議申立)が認められた事項に関する行政処分については訴願を経ないで訴を提起することは原則として許されていない。それは行政庁にまず処分を矯正する機会を与えて行政庁内部において速やかに紛争を解決し、止むを得ない場合に裁判所に救済の機能を営ましめることが望ましいことであるし且つ国民の権利の救済にも便利であるからである。しかし訴願の裁決が著しく遅延する場合においてまで右の原則に従い訴願人にいつまでも裁決を待つことを要求するのはその権利の救済の利益を奪う結果となるので、このような場合に訴願人を保護し、上級の争訟段階に進ましめ或いは出訴することを得さしめるために、右規定は例外として却下されたものとみなすことができると定めたもので、訴願人に却下されたものとみなすべきことを義務づけたものではないし、従つて出訴期間の起算日とする趣旨でもない。行政事件訴訟特例法第二条但書の場合においても同様に解釈されているのみならず、若し右規定が却下されたものとみなすべきことを義務づけ出訴期間が進行するとすると、施行令第百五条第一項の裁決期間は裁決をなすための有効要件となり、右期間経過後の裁決は効力を生じないという結論になり前記訴願前置の制度を定めた趣旨から考えても不当であり、裁決経過後の裁決でも無効ということはできない(行政裁判所昭和三年十月二十日判決)ことは通説となつている。又出訴期間が訴願人の恣意によつて伸長されるとの議論も該らない。出訴期間が確定しないのは行政庁が法令を遵守して迅速に裁決しないからであつて訴願人の恣意に基くものではない。更に解職賛否投票の効力を争う訴訟が存在しなければ本訴を維持する利益がないということはできない。けだし地方自治法は右二箇の訴訟を各々独立して認めているのであるから投票の効力に関する訴訟の適否にかかわりない。

(立証省略)

被告訴訟代理人は本案前の抗弁として本訴を維持する利益はないとして次のとおり述べた。

一、本件署名簿の署名の効力に関する争訟は、解職賛否投票の効力に関する争訟の前提としてのみ法律上の意義がある。即ち地方自治法による区長解職請求は、区民有権者が区長からその身分を剥奪することを目的として行われる手続であるから、その一過程である解職請求の署名はその次に行われる解職賛否投票の前提基準として意義を有するものであつて、その効力も究極は区長たる身分を保持させるかどうかの点においてその価値を判断さるべき事柄であるから、署名の手続の適否は、賛否投票の効力に影響を及ぼすべき効果が現にある場合にのみ争うことができるが既に投票の効力が争い得ないものとなつた以上は右署名の効力もこれを争う利益はない。

ところで、原告に対する解職賛否投票は昭和二十八年四月三十日施行された結果解職請求に賛成する投票多数で原告は即日解職された。右投票の効力に関し原告は同年五月十四日被告に異議を申立てたので、被告は同月二十一日右異議申立を却下し同月二十三日その決定書を原告に交付したところ、原告は同年六月五日右決定に対し東京都選挙管理委員会(以下都選管と略称する)に訴願を提起したが、同委員会は右訴願受理の日から二十日以内にこれに対する裁決を行わなかつたので施行令第百五条により原告の訴願を却下する旨の裁決があつたものとみなされるに至つた。それで原告は右投票の効力に異議がある場合には、後記の理由で都選管が訴願を受理した昭和二十八年六月五日から二十日を経過した同月二十六日から三十日(地方自治法第八十五条により準用する公職選挙法第二百三条による)以内に訴を提起しなければならなかつたのである。しかるに原告が右解職投票無効確認の訴を東京高等裁判所に提起したのは昭和二十九年二月十五日であつて、右訴訟は前記の出訴期間を経過した不適法な訴であつて、当然却下さるべきものであつて、右投票の効力は確定し争うことができなくなつており、本訴は区長解職の効力に何等の影響をも及ぼすものでないからこれを維持する利益はない。

前記施行令第百五条の「……みなすことができる」とあるのは訴願者が任意に訴願を却下されたものとみなす時期を決定できるとする趣旨ではなく、訴願人及び関係選挙管理委員会に対して当該訴願を却下するものとみなす権能を付したものである。従つて訴の提起期間は、右規定によつて却下されたものとみなすことができる時期から進行すると解すべきことは消滅時効が権利の行使をなし得る時から進行するのと同様である。若しそうでないとするならば出訴の期間が訴願者の恣意によつて無限に伸張されることになり甚だ不当な結果となる。原告挙示の行政裁判所判例はその基礎とする法律が本件と異るから適切とはいえないし、行政事件訴訟特例法第二条但書は端的に出訴の権能を付与したものであるから、その出訴期間については前記施行令第百五条と同様に解すべきである。

二、原告は昭和二十六年四月二十三日の選挙により区長に就任したものであるから、その任期は解職請求によつて失職しなかつたとしても昭和三十年四月二十二日満了したものであるから、同日以後においては現に区長たる地位に伴う権利義務の主体ではあり得ず本訴の究極の目的たる区長たる地位を回復することはできなくなつた以上本訴を維持する利益はない。

在職すれば受けたであろう給与等の請求は直接これを為せば足りるのであつて、そのために解職が無効なことを確定しようとすることは間接的な訴訟であつて、確認訴訟の本質に反する。即ち仮りに本訴において署名の無効が確定され更に解職賛否投票の無効を確定したとしても、そのまま直ちに原告の給与等の請求権及びその履行が裁判上確定するものでない。このことは確認訴訟に止まらず取消訴訟についても同様であつて、究極の目的とする給付等の請求について直接に確定するのでなくして単に前提として間接の影響を与えるに過ぎない場合には許されない。

又行政訴訟においては行政処分の取消或いは無効であるとの確認を対世的絶対的に確定するもので、そのような場合には右手続によることを要するけれども、行政処分がなかつたならば得たであろう給与或いは当該処分によつて受けた損害賠償の請求等において行政処分の適否が訴訟上の資料として使用されるに過ぎない場合には、その適否は対世的絶対的に確定する必要もなく、当該請求訴訟において必要な範囲で直接に主張立証すれば足り、その範囲を超えて右行政訴訟の手続によつて確定する必要もなければ許さるべきことでもない。このことは行政処分庁と財産的請求の相手方が異る場合でも何等結論を異にしない。即ち前述のとおり請求訴訟の当事者間で争われている財産的請求権の存否を確定するために当該当事者間においてその原因たる事実関係としての行政処分に客観的価値判断を加えようとするものに過ぎないから、該行政処分の当事者間でなければ論議できないという理由は毫も存しない。

以上のとおり原告はいずれにしても本訴を維持する利益を有しない。

次いで本案について「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、請求原因事実に対する答弁として次のとおり述べた。

原告主張一記載の内次の点を除いてはすべて認める。原告が渋谷区長に就任した日は昭和二十六年四月二十三日である。阿部義宗外三名が被告から解職請求代表者証明書の交付を受けたのは昭和二十七年十月十六日で、同訴外人等が署名簿に署名を収集した期間は昭和二十七年十月十七日から同年十一月十六日までである。被告が署名簿の署名中五万一千九百六名の署名につき有効と決定した日は昭和二十七年十二月十一日である。原告が異議申立てたのは二万四千三百七署名についてであり、別表四記載の百五十五名については署名取消の申立であつた。又別表一記載の七、一七七番(署名番号以下同じ)宮島綾子、二七、五四五番松尾厚、二七、五四六番松尾八重、二七、五四七番岡本茂、二七、五四八番岡本智彗子、二七、五四九番吉田ヒデ子、二七、五五〇番吉田吟二、六一、四二七番鈴木喜久治及び六一、四二八番鈴木とみについては異議申立はなかつた。

同二記載の事実はすべて争う。

(一)について。仮りに原告主張の署名が自筆でないとしても無効であるとはいえない。署名が自署に限るとする明文の定はない。商法においては記名捺印をもつて署名に代え得るとしていることからもわかるように、国民大衆の間において署名が自署に限るという考え方は未だ熟しておらずむしろ意思表示の証としては記名捺印をもつて足りるとするのが通常である。ところで地方自治法は選挙管理委員会に署名簿の署名者が選挙人名簿に記載された者であることの証明を為すことを要求しているが、又右委員会の審査期間は非常に短期間に為すことを要求されており、このような短かい期間に一々の署名について自署かどうかを確めることは到底不可能なことである。一方前記のとおり直接請求手続における署名の占める位置は単に賛否投票の前提手続に過ぎず、投票の施行を促すに止まりその直接的、実質的効果は投票によつて生ずるものである。以上関係法令の全体を通じて考えると署名簿の署名は自署を本則とはするが、記名捺印をも必ずしも無効とすることはできない。

仮りに署名簿の署名が自署であることを要するとしても、選挙管理委員会が審査するに当つては形式的に例えば署名は何人のものであるか、署名簿たる要件を具備した用紙に為されたものか、署名人が選挙人名簿に記載されているか等を審査すれば足り、一々の署名につき本人の自署であるか、署名人の真意に基いて作成されたかという実質的審査を為すことは必要としないと解する。そうだとすれば被告のなした審査は形式的な点においてなんら過誤はないから、原告の異議申立を棄却した決定は違法でない。

(二)について。拇印も署名簿に要求される印たる性質を有するものであり、署名人本人の拇印たることの証明を必要とするものではない。

(三)について。原告主張の百五十五名の署名については原告から一括して署名の取消を求めたものであるが、地方自治法にいう署名の取消に該らないのみならず、原告主張事実からみても右署名はいずれも署名人本人が署名し押印したこと明らかであるから無効でない。

(立証省略)

理由

まず本訴の適否について判断する。

一、地方自治法の定めるところによれば、普通地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する者は、政令の定めるところにより、その総数の三分の一以上の者の連署を以て、その代表者から、普通地方公共団体の選挙管理委員会に対し、当該普通地方公共団体の長の解職を請求することができ、右の請求があつたときは、委員会は直ちに請求の要旨を公表するとともに、これを選挙人の投票に付し、その解職の投票において過半数の合意があつたときは、普通地方公共団体の長はその職を失うことになつている(同法八一条、七六条二項三項、八三条)。東京都の各区は特別区といい(同法二八一条一項)、特別地方公共団体であつて(同法一条の二)、都道府県や市町村のような普通地方公共団体ではないが、地方自治法又は政令で特別の定をするものを除く外、地方自治法第二編中市に関する規定が適用されることになつていて(同法二八三条)、区長は市長と同様地方自治法第二編に規定するいわゆる直接請求である解職の請求が為されることになつている。そして右の区長の解職の賛否投票については、その投票の効力に関し異議がある選挙人又は区長は当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会(当該区の選挙管理委員会)に対して異議の申立をすることができ、この異議申立に対する決定に不服がある者は更に都選挙管理委員会に訴願を提起することができ、その裁決に不服がある者は東京高等裁判所に右の投票の効力に関する訴訟を提起することができるのであるが(同法八五条、公職選挙法二〇二条、二〇三条)、右の訴訟においては、解職請求者署名簿の署名の効力を争うことができない。この署名簿の署名の効力は地方自治法に定める争訟の提起期間及び管轄裁判所に関する規定、すなわち同法第七四条の二によることによつてのみこれを争うことができるのであつて(同法二五五条の二)、右の解職の賛否投票の効力に関する訴訟においては争うことができないとされているのである。すなわち署名簿の署名の効力については署名簿の縦覧期間内に異議の申立をなさしめ、その決定に不服ある者に一定の期間内に出訴を許すこととして右の署名簿の署名の効力は専らその訴訟で解決し、これを投票の効力に関する訴訟において争うのを得ざらしめたのである。いいかえると、署名簿の署名の効力に関する訴訟は、解職の投票の効力に関する訴訟の前提としてのみ意義があるのである。署名簿の署名の効力に関する訴訟は署名簿の署名の総数が解職請求の要件である有権者総数の三分の一に達するか達しないかを確定することを目的とするものではなく、単に署名簿の個々の署名の効力を確定することを目的とするもので、解職の投票の効力に関する訴訟において署名簿の署名の総数が解職請求の法定数に達せず賛否投票を行うべきでないのに行つたとの事実を主張するに当つてその基礎になる個々の署名の効力を確定する点に法律上の意義があるのである。従つてもし解職の賛否投票の効力に関する訴訟を提起することができなくなつたり、これを維持する利益がなくなつたときは、署名簿の署名に関する訴訟もまたこれを維持する利益がないものとなるのである(最高裁判所第一小法廷昭和三十年九月二十二日言渡、昭和二十八年(オ)第一一二二号判決参照)。

二、これを本件についてみるに、原告が昭和二十六年四月公選によつて東京都渋谷区長に選出され就任したものであつて、昭和二十七年十一月原告に対する解職請求が為され、昭和二十八年四月三十日原告に対する解職の賛否投票が行われ、解職に賛成する投票が過半数であつたことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第五、第六号証によれば、同年五月十四日原告は被告に対し右投票の効力に関し異議を申立てたところ、被告は同月二十一日右異議申立を却下する決定をしたこと、原告はこれを不服とし、同年六月五日東京都選挙管理委員会に対し訴願を提起したところ、同委員会は裁決をしなかつたこと、原告は昭和二十九年二月十九日東京高等裁判所に右投票無効確認の訴を提起したことが、それぞれ認められる。

(イ)  被告は、本訴は原告の解職の賛否投票の効力を争う訴の前提としてはじめて意義のあるものであるところ、原告が東京高等裁判所に提起した解職賛否投票無効確認の訴は出訴期間経過後の不適法なもので、もはや右投票の効力を争い得ないものとなつたのであるから、本訴はこれを維持する利益がないものであると主張する。

しかし、右の主張はその前段は前に説示したとおりこれを是認し得るが、後段はこれを採用することができない。その理由は次のとおりである。

地方自治法施行令第百五条によれば、解職賛否の投票に異議の申立があつたときは、その申立を受けた日から十日以内に異議の申立に対する決定をしなければならず、またこれに対し訴願の提起があつたときは、その訴願を受理した日から二十日以内に訴願の裁決をしなければならないのであつて、右の期間内に異議の決定又は訴願の裁決がないときは、異議の申立又は訴願を却下する旨の決定又は裁決があつたものとみなすことができることになつている。これは行政事件訴訟特例法第二条但書の規定と同じく(但し右地方自治法施行令第百五条はこの特例法の規定の特別規定である)裁決庁の裁決の遅延によつて生ずる損害を防止し、訴願人の権利救済を全かしめる趣旨に出たものであるから、訴願人は裁決のあるまで待つて、その裁決のあつた後、裁決書の交付を受けた日から三十日以内の法定期間内に出訴することもできるが、裁決がない限り、何時でも右規定によつて訴願を却下する旨の裁決があつたものとして出訴することができるものといわなければならない。右規定は裁決があつたとする日までも擬制するものではなく、また時効制度ではないのであるから、訴願却下の裁決があつたとして出訴し得る日から出訴期間が進行を始めるものと解すべきではないのである。要するに右規定は法定期間内に裁決が為されなかつた場合の救済規定であつて、これによつて訴願人に利益をこそ与え、不利益を与えるものと解することはできないのであつて、被告の見解には到底賛成することはできない。

そうすると原告が東京高等裁判所に解職投票無効確認の訴を提起した昭和二十九年二月十九日には、原告の提起した訴願に対する裁決がなされていなかつたことは前に認定したとおりであるから、右訴には出訴期間不遵守の違法はなく、この点に関する被告の主張は採用することができない。

(ロ)  しかし、原告が昭和二十六年四月(原告はその日を二十四日といい、被告は二十三日というが、いずれにしても昭和二十六年四月中であることには当事者間に争がない、そして右の日の差異は本訴においてはその結論に影響を及ぼすものではない)公選によつて渋谷区長に就任したものであることは前に認定したとおりであつて、従つてその任期は選挙の日から起算し四年を以て満了するのであるから(地方自治法二八三条一四〇条、公職選挙法二五九条)、たとえ原告がその主張のように解職投票が無効で右投票によつては解職の効果を生ぜず、区長たる地位を失わなかつたとしても、現在においてはすでに退職していること明かである。そうすると原告が東京高等裁判所に提起した解職投票無効確認訴訟は訴の利益を欠き不適法のものとなつたといわなければならない。従つてその訴訟の前提としてのみ法律上の意義を有する本訴もまたこれを維持する利益なきことに帰し、不適法として却下されるべきである。

三、原告は、解職投票無効確認訴訟はなお訴の利益を有するから、本訴も適法であるという。すなわち、右投票が無効となれば、原告は失職しなかつたことになり、区長として受くべき給与等の給付を請求する権利があり、また違法な行政処分に対する損害賠償等の請求のためにも右訴を維持する利益があると主張する。

しかし右の給与等の請求や損害賠償の請求はいずれも財産上の請求であつて、解職投票無効確認訴訟や本訴のように一定の法律効果の宣言を目的とするものではない。これら財産上の請求においては、その前提として署名簿の署名の効力や解職投票の効力を争い、その無効を主張する必要があろうが、これらの効力を争うには右の請求訴訟において争えば足り、それがために本訴のように独立の訴を以て争うことは許されないものと考える。けだし解職投票の効力や署名簿の署名の効力を争う訴訟は、これによつてその無効を対世的に宣言し、解職前の地位を回復するところに意義があるのであつて、唯単に個々の財産上の請求のために、その前提問題となるべきものを独立の訴を以て争わせる利益は毛頭存しないからである。しかも右の財産上の請求は給付義務者を相手方とすべく(これを本具体的例に則していえば、その相手方は選挙管理委員会ではなくて渋谷区でなければならない)、前提問題として独立の訴を起すとしてもその相手方は同一でなければ、本来の意味をなさないことになる(例えば中間確認の訴のように当事者は同一でなければ無意味である)。そして右の財産上の請求の訴訟において、右の前提問題として争われる限り、その判断は財産上の請求を認容するか否かについてのみ影響を及ぼすに過ぎないのであつて、たとえ無効であると判断されても、これによつてその訴訟外にその判断の効果は及ばないのであるから、特に独立の訴を以てこれを争わせる必要もなく、利益もないといわなければならない。もつとも地方自治法第二五五条の二は、直接請求の署名簿の署名、長の解職の投票に関する効力はこの法律に定める争訟の提起期間及び管轄裁判所に関する規定によることによつてのみこれを争うことができると規定しているが、この規定は、右の効力を争うについては行政事件訴訟特例法によることなく、地方自治法の定める争訟の提起期間及び管轄裁判所に関する規定によることを明かにしたものであつて、右のような財産上の請求の前提としてもその効力を争うことを許さない趣旨ではない。よつてこの点に関する原告の主張は採用しない。

四、なお、以上のような判断は、東京高等裁判所に現に係属している解職投票無効確認訴訟の適否を当裁判所が判断してその不適法を理由に本訴も不適法であるとして却下してしまうものであつて、この当裁判所の判断の結果は、当然東京高等裁判所の右訴訟にも影響を及ぼし、同裁判所が右訴訟が適法であると判断しようとしても、当裁判所が本訴について本案の裁判をしなかつた結果は、これを前提とする右訴訟は遂にその本案の判断を阻まれることとなり、結局当裁判所の判断は東京高等裁判所の裁判権を拘束するから、以上の判断は失当であるとの見解がある(原告が本件口頭弁論終結後提出した昭和三十一年五月七日付準備書面にあらわれている)。

なるほど当裁判所が本訴においてする判断が東京高等裁判所に係属している原告の解職投票無効確認訴訟に影響を及ぼすことは右見解のとおりである。しかし、解職投票の効力に関する訴訟においては、解職請求者署名簿の署名の効力を争うことができず、その署名簿の署名の効力はもつぱら地方自治法の定めるところに従つて提起し得る右の署名簿の署名の効力に関する訴訟によつてのみ争うことができるのであり、また、この署名簿の署名の効力に関する訴訟は、解職投票の効力に関する訴訟の前提としてのみその意義を有するに過ぎないことは前記一において説示したとおりであつて、このような関係にある右二つの訴訟が互にそれぞれ影響を及ぼし合うことは、正に法律の予想しているところといわなければならない。そうすると右の署名簿の署名の効力に関する訴訟の係属する裁判所がその訴の適否(訴訟要件の存否)を判断するために、解職投票の効力に関する訴訟が、未だ提起されていないとすれば、もはやその訴を提起することができなくなつたかどうか、また既に提起せられているとすれば、その訴を維持する利益がなくなつたかどうかについて判断し得ることは当然許されるものと解すべきであるから、右の見解はこれを採用する限りでない。

よつて原告の本件訴は、これを維持する利益を欠く不適法のものであるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟特例法第一条民事訴訟法第八十九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 飯山悦治 岩野徹 井関浩)

(別表省略)

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